山田亮太詩集『ジャイアントフィールド』について/葉leaf
 
き、我々は自動的に、この言語の再連続化を行っているのである。
 ところが詩はそうではない。詩は受容者における再連続化を期待しない。受容者によって一義的に世界が再構成されるのを阻み、あくまで世界に対する抵抗体としての言語そのものに関心を当て、言語の生み出す別の可能性に期待を寄せるのである。つまり、一様で均質な世界を生み出すのではなく、いたるところで分裂し火花を来す、詩人の想像力をいかんなく発揮できる空間を生み出すのである。詩人の想像力が現実のくびきを離れ「踊りつづけ」るところに、現実とは別の新たな連続性を生み出すのである。それは、詩人の意識も無意識も詩人を取り巻く環境も、何もかも包み込む連続性であ
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