山田亮太詩集『ジャイアントフィールド』について/葉leaf
るのは、彼の一文が短いことからも示唆されるように断片的で、彼のもたらすイメージが奇異であることからわかるように不整合な、「世界」とも呼べない空間なのである。
我々の現実は豊穣で連続的である。言語とは、その連続性をある意味破壊するものであり、だから我々はいつも「言葉にならない」物事の多さに悩まされるのである。言語とは、現実を区切り取り、抽象化し、他者との間で交換可能なものへと変換する装置に過ぎない。だが、だからといって言語芸術が一様に連続性を持たないと決めつけられるわけではない。言語芸術は、受容者においてその隙間が埋められることによって、再び連続性を獲得するのである。我々が小説を読んでいるとき、
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