異邦人日記から/動坂昇
 
行動に自己の思想も主体性もないことである。彼は自らの為した行いの重さを自覚できない。彼は責任ということを知らない。彼はローレンスに向かって言う、Merry Christmas, Mr. Lawrence と。それは、かつて「クリスマスプレゼント」などと言って相手を懲罰房から出してやったことを思い出したうえで発せられた挨拶であり、だからこそ今度はおどけながらも精一杯に自分への憐れみを求める言葉なのだ。ここに、不条理に殺されかけた他の俘虜を救って高潔に死んでいくジャックとはまったく異なる人間がいる。そもそも日本的な恥と高潔な死を説いていたのはハラ自身だったのに。おそらく彼だけではなく多くの人々によって説かれたサムライ的ないさぎよさとは、結局何だったのか。そんなものは初めからなかったのだ。きっと誰もがそうだった。自分に責任があると思わなかった。そして多くの人が今もそう思っていない。3.11以後でさえも。
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