老婆の麺麭/服部 剛
 
薄茶けた昭和の古書を開いて 
ツルゲーネフの描く 
露西亜の田舎の風景から 

農民の老婆の皺くちゃな手は 
搾りたてのぶどう酒が入った器と 
焼き立ての丸い麺麭(パン)を 
時を越え 
読者の僕に、差し出した。 

(見えない麺麭)を手に取った僕は 
口に含み、味わい・・・ 
血のようなぶどう酒と共に 
喉へ流しこむ―― 

開いた余白の頁に浮かぶ風景は   
藍色の空の海に浮く、一艘の雲 
しきりに尾を振る、馬のわななき 
全てを見守る、背後の山々 

(主よ、この手はもう何もいりません・・・) 

主人公の清貧の台詞を聴いて 
僕は知るだろう 
もし、自らが乞食になっても 
全てを胸にみたされながら 
この手のひらに乗せた 
(空(くう))という透き通った麺麭を―― 







戻る   Point(8)