【HHM参加作品】しろいろさんと大森靖子さん/佐藤真夏
 
シンガンにチョコレート詰めて逃げだそう裸で泣いてるわたしをさがしに}

に結着するからです。最終的に、主体は戦いを放棄して裸の(本来の、というニュアンスで受け取ります)わたしをさがしにいくようですが、それはどういうことなのかちょっと考えてみます。

 ひとりの「わたし」が二分されているとすると、裸のわたしが主体の〈本質的な部分〉なら、戦うわたしは〈現象的な部分〉といえます。このような外面的には戦い、内面的には泣いているという「わたし」の不安定さ(言い換えると、内と外が〈合致しない〉構造)は、チョコレート(内)の入ったマシンガン(外)の構造につながります。マシンガンは「わたし」そのもので、
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