【HHM参加作品】非連続/深水遊脚
ではなかった。分かるということが、辻褄のあった物語を作品のなかに見出したり、作品に隠されたひとつの主題を探り当てたりすることだとすれば、私はいまもこの詩を分かってはいない。無理に分かろうとせずに、無理に詩以外の言葉に翻訳せずに、詩は詩として眺めて楽しむ。自然数でいう素数のように、1とその数しか約数がない、ほかの数との公約数はない、詩とはそういうものだ。そんな考えをもっているので、言葉を残すことは少ない。でも私はこの詩について言葉を残すことを選んだ。不純な動機がなかったとはいえない。一度はこの詩を通り過ぎて現代詩フォーラムを離れて、ほかのサイトをいろいろ巡っていたとき、文学極道(※)でもこの詩が投稿
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