なぎら健壱の時代/梅昆布茶
手話の方が綜合的にはコミュニケーションの手段としては有効だとする意見もある。
言語論ならソシュールとかそれに啓発されたであろう
レヴィストロースの構造主義とか。
想いをめぐらすことは誰にとっても考えうる限り最大の自由だとおもっている。
いつの時代も言葉を私物化してはいけないと思う。
詩壇なんて文壇なんてもっての他で
せめて民意をまとめて文学や詩として伝えるぐらいがいいと思うのだ。
ただ僕は知らないが2チャンネル化
しないで欲しいが
でも2チャンネルってどんなだったの?
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