方言について/小川 葉
 
ウジュンゴというコミュニケーションツールを、二十年という時を経て、やっと体得したものである。
無論、仙台生まれの、うちの子供なんかも、生まれた時からショウジュンゴで育ち(奥さんが元来ショウジュンゴの人だった)、しかし今、時折、秋田の街で、人々の秋田弁を聞くと、あれはおばあちゃんの言葉だと言う。
暮らしのツールとしての方言が、今や俯瞰から観察される言語になりつつあるのだ。
道具としての言葉。それにはよくも悪くも、曖昧さやニュアンスが含まれ、その感覚がわかるからこそ、この土地の人間なのであると認められたものだった。
しかしその土地土地にかつてあった、独特のニュアンスや感覚意識の衰退が、日本じゅ
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