安酒/深水遊脚
。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。」
(引用ここまで 朝日新聞 9月28日 村上春樹「魂の行き来する道筋」)
村上春樹さんが単に時代に追い越されているというだけなら、それに対して私があえていうことはない。ただ、安酒の比喩が、限られた所得の中で手に届くもののなかから、自分が本気で愛せるお酒だけを真剣に選んで飲んでいる人たちを逆撫でしてしまっては、そのことが、村上さんが書くところの「魂の行き来する道筋」を塞いでしまうことにはならないだろうか。安物といわれるものにも、そこに行き着く魂の軌跡はある。安物を生産する人たちはそのことをよく分かっている。そして、安物を生産する人たちのなかには、多くの中国人がいて、多くの日本人もいる。安物を見下すことは、その人たちの生産活動、消費活動を見下すことにつながる。私は、安酒の比喩という、それ自体が安酒ではないかという疑いのあるこの文章から、少し距離をとりたい。村上春樹という酒蔵は愛しているとしても。
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