10/31/はるな
言葉の使いかたをする(つまり父の中での正しさ、ということだけど)。わたしはその正しさに常々苛立ち、おびえながら、どうしても屈服してしまう。揺るがないひとつの正しさの前で、わたしはいつも自分の正しさを磨くことしかできない。挑むことさえできない。屈服する。
私は、今度こそ父には本当のことが言えるかもしれないと思っていた。わたしに関わるあらゆる物事について、本当のことを言えるかもしれないと思っていた。
そして差し向かいで焼かれた茄子を交互につまみながら、わたしが話す言葉は、話すそばからたわごとのような、なんというかとるに足らない、どうかすると童話のようなものになってしまうのだった。
私は何とか
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