はらせつこ/salco
 
の車道に面
したガレージ跡では割と凝ったお医者さんごっこをした。
 テントとシュラフを買ってもらった6年生の兄は自宅の庭に飽き足らず、同級や近所の男の子達を
誘って一泊した。寒くて眠れなかった、と翌朝早々に帰って来たのを憶えている。他人の土地に杭を
打ち、固形燃料で飯ごう炊さんまでする、それを見咎めようという考えの大人が一人もいない、大ら
かな時代であった。

 私はと言えば2年生の時、風呂場跡の近くで遊んでいて左薬指をガラス片でざっくり切り、顔面蒼
白の体で家に帰った。泣くともっと怖くなるのでこらえ、幼稚園時のわんわん泣き転落おでこに続い
て自転車の荷台に乗せられ、かかりつけの医院で縫われた痕が今でも残っている。
 早生まれのせいか持って生まれた知能のせいか、小学校に上がっても柱時計が読めず、靴ひもを蝶
結びできず、2年になっても右・左という概念が全く理解できなかった私には恰好の目印となり、今
ではすっかり薄れたこれがはらせつこ唯一のよすがとなった。

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