手慰み/MOJO
 
が欠落してる者たちの世界。だが、それは愚かなる思い込みであったようだ。考えてみれば、小説は言葉で出来ている。言葉は誰もが持っている。従って、だれが小説を書いてもおかしいことはない。ならば、この私も挑戦してみようではないか。こうして私もそのサイトに投稿するようになった。褒める感想もあった。貶す感想もあった。何年か経つと、書くのが苦痛になってきた。元々物語を紡ぐのが不得意な私は、過去の自分の経験から題材を持ってくることが多かったのだが、私の井戸は五年で枯れた。書くのに飽きてしまったのだ。枯渇を意識してから、また五年が経った。今ではあの投稿サイトを覗くことも少なくなってきた。日曜作家の看板を掲げているが、あのサイトで、定期的に開催される祭りに参加することも滅多になくなった。
 創作文芸は、四十を過ぎて覚えた手慰みのつもりだったが、今のところ、まだモノになってはいない。しかし諦めたわけではない。 私は私のペースで、これからも気長にやるつもりである。
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