【批評祭参加作品】■シロン、の欠けラ(1)/川村 透
分の名付け親を演じ続ける。「誰にでもなれる、なんにでもなれる」ということは、「まだ何者でもない」自分とともに「在る」ことだ。と同時に「名付ける」という主体がそこに、咲き初めている、ということだ。なんとなくいらいらしている様子さえも、かわいいなぁ。
□『生きていくこと』 たもつ
http://po-m.com/forum/i_doc.php?did=733
うん。生きていくということは、こんなことだ。と、この詩にさわってみて僕はうなづいた。とんでもなく変なことかもしれないけれどフツーに受け入れてみている、これがほんとうのリアルな手触り、かもしれない、でもそうじゃないかもしれない、でも
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