風呂場の鏡/桐ヶ谷忍
てきた。
また、両親は互いに罵り合うので夢中で、子供が自殺を
夢見ているほど苦境に立っている事を、私が躁うつ病になった
数年前に口走った時に初めて知ったというほど、無関心に
育てられ、学校の先生も、職場の上司も、見て見ぬふりを
し続けた。
私はひたすら無表情で、いじめにも、なんの痛苦も受けていない
とでもいうように無表情でいる事に精一杯だった。
それが、いじめられる側の、唯一の反撃だった。
死は、至高の憧憬だった。
生まれた時から叩き込まれた仏教の教えに疑問を持ち、
そして地獄などないと考えられるようになるまでの何十年間の果て、
ようやく世間一般的な日本人の仏教
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