バス、バス停、水の中/はるな
ことでもあるのだし。みじめさなら昔々から知っていた。それがどういうものなのか、どうしたら振り払えるのか、どうしたって振り払えないものだということも。
それで、ああ、わたしも好きかってに選ぶということをしていいのだわと思い始めたのは十八すぎたあたりからで、例によってそれはお金やセックスのことなのだけど、それだっていま考えれば選ばれるためのもろもろ、「決める」という主体からはまだまだとおく、なにか大きなものの流れのなかにいてそれを泳いでいると錯覚するようなものだった。
いまでも、決めるとか、選ぶということは、なにかしらの悲しさを連想して、だってつまりそれは、なにかを選ばないということと同義でし
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