尾崎放哉と自由律俳句についてのメモ/……とある蛙
 
尾崎放哉を中心にして自由律俳句についての覚え。

俳句五七五の音数律にとらわれない俳句を自由律俳句と言う。
結論を先に述べると、自由律俳句とは定型にとらわれないのではなく、意識的に定型を拒否するものである(独断です)。
萩原井泉水は(自由律句は)俳句であることに拘りを持っており/将来的に定着する俳句のバリエーションとしてとらえている。言い方を変えると定型に対する恒常化された破調ととらえ直すことができる。本音のところでは、常に定型を意識しているのである。
 定型律を拒否することによって生まれる宙づりの不安定な緊張感こそ自由律俳句の真骨頂なのだ。

  ごろりと横になる今日が終わっている
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