消えた電池のこと/はるな
に会計を済ませた客は静まる店内を堂々と出て行った、後輩の女の子はそれを見て「他人事ですね」と憤り、わたしはといえば、ここまで追悼ムードが充満するなかでそれに沿わないその客はいろいろと鈍感なのだなと思うし、40秒だか60秒だか黙祷をしてからすぐに日曜日のショッピングに戻る人々が被災者と何かを「共有」したかどうかも疑問だし、だからといって憤ったその後輩を「偽善者」とも思えず、あいまいに笑うしかできない。いろいろな人がいるのだ。いろいろな場所でいろいろな人間がいる。そのような人間たちが、自分の問題として、あるいは自分の大切に思う人間の問題として、かたちとして、色として、匂いとして、感じない限りは、物事を「共有」することなどできないのだ。
「揺れなかった」ほうの人間であるわたしは、いま目の前で地面が割れ、目の前の家がなぎ倒され流されてゆき、放射能の影響で手足が五本ずつある子どもが自分の股から生れ落ちない限りは、この問題をほんとうには共有することなどできないのだ。
そしてその上で何ができるかを考え、実行するしかない。
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