春の追憶/小川 葉
 
、正直いうと妻はまだ拒んでいて、またそんな作り話をして、わたしを誘導してるのでしょうと笑う。しかしほんとのことなんだ、話せば話すほど嘘のような話であるが、これはすべてたしかな事実である。

死の足音が、聞こえるのを感じていた。ここにいてはいけないと、感じてたのである。わたしの故郷はここではない。だからこそ、本来あるべきのない怨念が、わたしをそこから逃がそうとしていた、とでも言うような、気持ちがしたのである。

ここは、わたしのいるべき場所ではない。それが災害という、切迫した状況で、明らかになることもあるのだ。わたしは仙台から、ほとんど本能的に、怨念から逃げてきたといってもいい。間違いのない決断だったと、今は思うのである。

あの春の日の罵倒はもう聞こえない。踏切でブルーシートを見ることもない。けどなぜ、人はあんな時にも保身し、人を罵倒し、死に追いこむことができるのだろう。それはやはり、人間だからに他ならず、ならばわたしはますます人を信じたくて、夜の街を徘徊してみたのであるが、幸い秋田の夜の街には、人間が誰もいないので、安心したものである。
 
 
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