春の追憶/小川 葉
 
 
 
四月に入り、電気が通じ、都市ガスはまだで、しごともまだ動かない。そんなある午後、これはわたしが家の御不浄で、排便しながら聞いた話である。

わたしたち家族が借りていた小さな借家の近くには、身寄りのないお年寄りの暮らす小さな平屋の建物が、線路沿いにどこまでも並んでいた。そのある平屋の部屋から聞こえた出来事を、ここに記す。

とてものどかな小春日和だった。便所の小窓から春の日差しが差し込み、わたしはぼんやりとこの時がいつまでも続けばいいと思っていた。仕事がないのである。なにもすることのないことの快適さ、万歳と、トイレで排便しかけたそのとき、男の人が誰かを罵倒する声が聞こえたのである
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