読まれる行為とは/アラガイs
なって相手を傷つけたり、または悪意と結びつけて怒りの矛先は意見者に向けられる。突然にコミュニケーションの怖さを思い知らされる。そして二度と交換することもなく去ることになるだろう。繰返し行為された、顔の見えないサイトの宿命でもある。これは、受け取る側の読みもまた試されているのではなかろうか 。
感情の縺れを憂慮するひと。沈黙し或いは無視をする 。相対的に関心すらみせない一方的な置き詩 。何れも読まれるのを前提として、置かれるのである 。
わたしは性格上レス者に対して沈黙はできない 。とりわけコミュニケーションを求めているわけでもない 。
なのによくレスを上げる。これは自身の楽しみに過ぎない 。相手を思う創造する楽しみでもある。
ここは詩のサイトだ。発表し高めあう場だ。しかし辛辣な罵倒以外コミュニケーションは程度許されている。詩人とは、より多くの懊悩を抱えこむもの 。 ときには逸脱した様な冗談。ユーモアとはそうした空漠の澱に集う者の一縷な光ではないのか 。
悪意とは何か、受け取る側の資質もまた試されているのである 。
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