君は、村上作品が嫌いか/番田 
 

日本的な精神からはほど遠い芸術作品が街で散見されるようになって、久しい。昔はよかったという苦言をよく巷では耳にするが、あながちそれは悪口ではないということがよく理解できる。それは、何故だろう。例えば、ビエンナーレなどで出品される作家の種類は昔は多岐にわたっていたが、少ない種類の作家に今では絞られてきている。それを日本における美術の成熟と結びつけるのか、それとも衰退と結びつけるかは、鑑賞者次第であるわけだが、そういった方向に収束していったことは、仕方がないといえるのかもしれない。だけど、それは寂しいことだ。最近起きた震災に関しても、被害を明確に表現することができないのは、不幸なことでもある。そうした悲劇を理解させる伝達力が我々にはまだまだ不足しているし、それを解き放つ術すら持っていないというのが、我々の悲しい現実なのである。


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