僕らの昨日の可能性/中山 マキ
 
いるかな
先送りが好きな有名人の時代錯誤や団塊世代の子離れを
遠目で僕は懐かしいと錯覚するのと同時に
何者にもなれない今でさえ懐かしいと錯覚していく

だからか1週間の大半が不確か過ぎるので笑ってしまう
さらに厳密に言うと1ヶ月の大半、1年のおおよそ
まるで毎日に訳があるようにと見せかけて
颯爽と改札を抜けても調度良い迎えはやっぱり来なくて
先を急がない明大前のプラットホームで苛ついている

それでも確かに何処かにあったと思われる、もしくはそう思いたい
僕の昨日の可能性は?と道行く人にすがりついても
それは失う時だけ僅かに存在を明らかにするので
繊細なほどに卑怯で 余りある程綺麗だから
時々充分なほどに実感すると、後悔は決まった格好で逃げて行く





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