喫茶「扉」にて /服部 剛
半身麻痺のお婆さんの
両手を引いて後ろ向きで歩く
介護青年だった、10年前の僕
いつも面会中にさりげなくにこやかに
見守っていた初老の娘さんと
古都鎌倉の喫茶「扉」で
偶然顔を合わせた、10年後の僕
ずいぶん前に、地上から旅立った
お婆さんが懐かしくて
お葬式の時、娘さんの頬にあふれた
涙の場面が蘇ってきて思わず声をかけたら
きょとん、と口を空けて
後から店の出口に飛んできたので
(あれから、職場も変わりました
結婚しました、子供が生まれました)
かたことの近況報告をしてから
(お元気で)と頭を下げて
鎌倉駅へと、僕は歩いた
人違いならしょうがない、と
遠慮がちに声をかけたが
この生涯で数えるほどしか
会わぬであろう人に声をかけ
互いの間に
ささやかな花開く瞬間があってよかった
帰りの横須賀線はいつのまに
とっぷり陽が暮れ、夜の車窓になっていた
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