器官なき身体の覚書2/イリヤ
 
つのことだ。カネッティは、群れのなかで各人は単独であると指摘する。洗練された言葉でいえば“社交性”と“社会性”の区別である。問題は二つのタイプの多様体における二元論によって対立させることではない。二つの多様体、二つの機械があるのではなく、ただひとつの機械状アレンジメントである“複合体”(コンプレクス)を、生産かつ分配するのだ。しかし、精神分析はそれに対し何をいうのか?ーオイディプス、オイディプス、オイディプス…。あらゆる多様体は、押しつぶされてしまう。

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またしても話題が、パパーママー僕の三角形に逆もどりしないために。リビドーはあらゆるものに浸透している、あらゆるも
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