器官なき身体の覚書2/イリヤ
ン•バルト)。また、さまざまな多様体をさがすことー、そしてそれらを自己の多様体と接続させることこそが、求められている問題である。それはまさに多様体の多様体ー。器官なき身体のうえでの非人称化の実践である愛の在り処。それが不完全な愛など存在しない。そしてこの非人称化の至高点においてはじめて、誰かある人物が“名づけ”られ、自分の姓あるいは名を受けとり、その人物が属しかつ属するさまざまな“多”を瞬間的に把握する、最高の強度の識別可能性を獲得するのだ。(カフカにおいてフェリーツェが商社のインタフォンと切り離せないように。)
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個人的な言表などというものは、ない。言表を生
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