器官なき身体の覚書/イリヤ
るのではないか。
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ドゥルーズにおける“狼男”とは、自己観察者のことである。狼は群れをなすが、狼の群れの登場する患者の夢を、言語の一般的な言葉による包摂ではなく、事物表象の一般的な自由連想という手段で、夢のなげかける謎を埋めてしまうのだ。そんなことをしても結果は失った対象の統一性、同一性(ツノはファルス、靴下は膣に翻訳されるのと同様に)に至るだけだ。こうして狼の“複数性”つまりみずからの多様体は意味に一掃されるのだ。多様体は狼たちから離れ、無関係な童話『狼と七匹の仔羊』の連想に窒息死するという、私たちはフロイトの還元というエクスタシーに恍惚となるのを目撃するのだ。つまり狼が六匹な
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