白い本/……とある蛙
はニューヨーク。なぜかハドソン川の向こう岸に大きくてそっくりな二つのビルが並んで見える。そのビルのほんとんどの窓に灯りがともっている。
感懐に耽っているとあのショルダーバッグをした初老の男がガタゴト扉を開けている。書棚のZ欄の下の低い台に平積みされている白い本を手に取ってながめている。
白い本は俺の書いた本だ。世界に一冊しかない俺の本だ。売り物ではない。俺は部屋にいるはずなのだが、眼鏡のフレーム越しに男を睨みつけ「俺が書いた本だ。聞かなくたってお前の言いたいことは分かる。」「売りものではない」。そして自分の歌を歌いだすのだ。「富ヶ谷小学校を卒業し、上原中学に進学し」。初老の男は後ずさりしながら店を出て行った。せいせいしたはずなのだが、数分もせずまたあの男が店に入ってきた。自分の部屋から眺めているだけの俺は、店番のおばさんが三五〇〇円であの本を売ってしまうのを部屋の窓から見ている。
そして、知らない間に また、ニコライ堂の坂の上に立っているのだ。
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