さよならパリ??高塚謙太郎とボードレール/葉leaf
の独立性を喪失した状態だからだ。おそらく高塚も倦怠を嫌うだろう。そして、高塚が自らの詩集を「さよならニッポン」と題したのも、ニッポンという自己であり世界であるものへの愛情と攻撃性を示すためだと思われる。さよならするということは、相手に対する拒絶であると同時に相手に対する関与でもある。また、何か偶然的な事物の介入により、愛するものと別れなければならなくなり諦めることでもある。ボードレールも、自己であり世界であるパリへの深い激情を込めて、自らの詩集を「さよならパリ」と題することも可能だったはずだ。
3.もうひとつの図式
F1は、高塚が外部にいながら内部を描いたのに対し、ボードレールは内部
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