日本人に、ロックはできるか/番田
たものこそが雛形のような存在であるということが言える。
日本という国を外国が捉えようとする時に必ず出てくるのが 忍者やサムライといったわかりやすい形象だが、そこに人の名前が全く出てこないのが不思議である。それに対して欧米には数多くの印象に残るクリエイターたちが存在する。しかしアジアや中東などに目を向けると、そういった人間は本当に数少ないのだということがよくわかる。そういったことをふまえて先ほどの日本語によるロックが可能なのかという問題を振り返った時、それは不可能なのだということが良くわかってくる。ロックというものは英語で歌われるのが自然なのである。そして日本人によるロックなど絶対に不可能なのだということも同時に理解することができる。
戻る 編 削 Point(1)