遺書にはならない足跡/セグメント
 
べくもない程、軽いものなのではないかという思いが非常に強い。例えば、現在の住居の騒音問題を相談する為、市役所内にある市民相談室を利用した際、様々な経緯を経てだが「知ったこっちゃねーよ」と幾度も相談員に連呼されたがゆえに、帰り道、泣きそうになっている私がいたとて、そのようなことでそこまでの疲弊を覚えるのはおかしいのではないか、自分に甘いのではないか、弱いのではないか、という自責の念を強く覚えるし、私以上に強い悲しみや苦しみを抱えている人はきっと多くいるのに、この程度のことで泣きそうになるなど、とにかく「駄目」なのではないかと思ってしまう。
 余談だが、市役所に行って落ち込まなかった時はない。あの、
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