遺書にはならない足跡/セグメント
 
の文章化とも考えた。喩えば、メロンパンを買おうと思っていたけれどクリームパンにしよう、と考えたとする。それが明確にそのままの文章で頭の中に浮かんだとする。それを、私は、他の誰かが言っているように感じているのかもしれないと。
 あるいは、自作自演だと。他の誰かが自分の中にいるように――まるで自分が多重人格者であるかのように――装っているだけだと。だが、そこに一体何のメリットがあるのだろうか。演劇役者を目指してもいない私が、何か面白味でも見出しているとでもいうのだろうか。頭痛や眩暈を伴ってまで、演じたいと思うだろうか。こういう表現は、実際の多重人格の方に失礼に当たるのかもしれない。だが、私はそれを承
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