待子さん/salco
療が始まったが、薬の
管理もままならない。言動が認知の消失を手探りで彷徨う繰り返しの内に
海馬の委縮も進行し、やがて見えない世界の住人となり、見えない人間だ
けを相手に暮らすようになった。
父親は出世を放棄し、純一も入ったばかりの大学を休学した。家の中は
弁当がらと汚れ物で荒み、二人に安逸はない。譫妄が激しくなると暴れ出
し、薬の効いた鈍い体で彷徨い出てしまうので、夜も目が離せない。
それでもたまに、母の内側へ現が届く時がある。息子や夫に「ママ」と
呼ばれて、ふいに顔を上げることがある。真千子にとってそれは、前触れ
もなくドアを蹴破る闖入者の来訪に他ならなかった。
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