孵卵/光井 新
近頃は、どうにか心身の具合も良好のようで、妻に手を引かれては外へと出掛けたりもしている。
閉じ籠っていた殻の外へと出れば当然他人と会わない訳にもいかなくなるのだが、今のところは以前のようなパニックを起こしていない。
しかしまだ、小型犬を散歩させている婦人や、けらを纏った農夫と、すれ違いざまに挨拶をするのが精一杯という状態である。この調子では仕事に復帰するのも、いつになることやら、見通しを立てられず諦めかけている。
気がつけば、最後に舞台に立った日から、一年が過ぎていた。 二人で行くようになった近所の庭園に向日葵の花を見て以来、日課だった発声練習や基礎体力向上運動はしなくなった。このま
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