口語自由詩における写生についての問題提起/……とある蛙
 
、音楽性)あるいは小野十三郎の短歌的叙情の否定などから写生を否定しているかのように思える。

 誤解を恐れないで論ずれば、朔太郎いうところの描写とは単なる事象あるいは事実の模倣を意味するでは無いかということである。 写生を通じて表現するものが写生する物と同等の価値を創造することこそ重要なのでは無いか。と私は考える、詩において写生を否定する理由は無いと言わなければならない。実在する事象と同程度価値ある物を創造出来るのであれば、写生の復権は閉塞化した現代詩の打破するものではないかと考える。

写生の中に内面を表現することも可能である。茂吉の言う観象などよく考えれば、単なる写生ではなく写生を通じた内面事象の表現につながるのではないかと思える。すなわち詩における写生の問題は議論されてしかるべきだと思う。あまりにも議論しないで終わっているテーマなので。

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