雑感的に 1/るか
ことの裏返しでもある。中心的な詩人もエコールも存在しない。この四半世紀にわたって、詩は、いかほどの成果をあげ、また、前進をしたといえるだろうかというならば、これは懐疑的にならざるをえない所がある。なんでもありのようにみえるが、同時に、ひとつもありはしない。そんなふうにさえ私には見えてきてならない。いっぽうで、ほんとうに「なんでもあり」なのだろうか、という疑念も持っている。むしろ、「なんでもあり」というのは疑わしい前提に過ぎないのであって、そのような前提こそ、何かしら新しいものの出現、詩の歴史の前進を予め阻んでいる障碍に他ならないのではないか、と。わたしには定型をはなれた自由詩の問題は同時に、我々の自由とありうべき連帯の問題のアナロジーのようにさえ見えてくる。自由詩の現状と現代民主主義・自由主義。
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