詩の周りを巡って/非在の虹
 
詩作品に論理的明晰さを求めるのには、無理がある。
詩はいつも割り切れない部分、釈然としない、あえて言えば、詩作品の澱のような所にある。
(詩と詩作品を分けて考えている。
「詩」とは詩の内実。
「詩作品」は文章の形式として。詩を入れる器として)

では詩人もまた非論理的なものだろうか。
少なくとも、自身の詩作については論理的であるべきだ。

何が詩か。何が詩として、もっとも優れた形か。
すなわち、何がテクストを詩たらしめるのか。

実はそれは個人個人の問題だ。
彼方にとっての詩であっても、此方には詩でないかも知れない。
そのことについて、議論はできる。
しかし非難は当た
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