「ゴドーを待ちながら」ともに。/プランタン
 
『ゴドーを待ちながら』。言わずと知れたベケットの戯曲である。あらすじは端折らせてもらう。結局、ゴドーは来なかった。はぐらかされ、かき回された主題は宙に浮き、支離滅裂なやりとりに終始する。
されど、登場する人々の、なんと〈生き生き〉していることか! イエスの奇跡を期待するでもなく、座り込んで話をして、ただ何者かがやってくるのを待っているだけだ。しかし、主題となる者の存在がひとたび俎上に挙がるや否や、そこに繋がる会話は破綻する。そのやりとりが何度も繰り返される。そこに、妙味があり面白いのである。ここでは〈時間〉が流れている! 思いつき、改訂され、継ぎ足される。ここにある「物語(イストワール)」は、すなわち「歴史(イストワール)」なのだ。彼らの、そして私たちの。中断しながらも引き継ぎ、完成しないながらも織り続ける「織物(テクスト)」である。
だから、君よ。無様を晒さないでくれ。鑑たれとは言わないまでも、歴史はいつも語り継がれるのだ。
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