ヒューム「ベルグソンの芸術論」(6)/藤原 実
では、パウンド等に日本の俳句が強い影響を与えたことを考えると、「中学から高校へかけて、私の自己形成にもっとも大きい比重を占めていたのは、俳句であった」(『誰か故郷を想はざる---自叙伝らしくなく』)という寺山にとって俳句のなかのモダニズムにつながる部分---事物のモンタージュやイメージのオブジェ的配置法など---はすでに自家薬籠中のものでもあったはずです。
十代のころすでに寺山は先輩俳人の句の中からお気に入りの単語を抜き出し並びかえて句を作り出す、というような作業に熱中していました。彼は生来のモダニストであったのかもしれません。
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「寺山修司にとって俳句とは、言葉の錬金術を楽しむ
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