【批評祭参加作品】近代詩へのリンク ー富永太郎試論ー/石川敬大
 
彙の、ディテールにそのことが胚胎している気がする。詩人にとって読者としてのエクリチュールは、過去の轍から恣意的に遁走し逸脱して未知のフィールドを侵犯することであるだろう。
 富永の問題を、現在われわれが置かれているクライシス的状況とのアナロジーとして見るとき、垂直性で思い浮かべる戦後詩人のひとりとして田村隆一をあげることができるだろう。『秋』『腐刻画』『皇帝』などの散文詩、韻文体ではあっても散文性を抱え込んだ詩を書き、富永から遅れること二十二年の一九二三年(大正十二年)に生まれている。たとえば、つぎのような詩がある。

 繃帯をして雨は曲っていった 不眠の都会をめぐ
 って その秋 僕は小
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