【批評祭参加作品】書くということについて/kaz.
 
ろう。読むことによって、文という牢獄に囚われた語彙を解放し自分の心に遊ばせるとき、それと意識していなくとも既にコラージュなのである。またコラージュは空白として心を指定するために、それは書くことにも相当する。再読が私たちに違和感を与えてくれるのは、私たちが読むことのうちに用意したコラージュが、意味を問い直すものとしてあるからである。

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空白を単純に指定しない「書くこと」について、コラージュという『例外』を持ち出しつつ、それを今イマージュの範疇に置き直した。ところで、他に見られる例外をも、空白を目指すものとして置いておきたい。

絵のことに触れたとき、私はそれとなく、「描く」ことも空
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