【批評祭参加作品】書くということについて/kaz.
まり書かれたものとしてのイメージを想定しなかったことが一度でもあろうか。つまり私たちがイメージと呼ぶものは、実は純粋に想像や思考を起点とするものであるとは言い切れないのである。文極において用いられる語としての「イメージ」では、あまりに漠然としており、その対象を明瞭にするどころかかえって分かりにくくしているように感じられる。書かれる対象としてのそのイメージは、言わばそのストーリーの旋律が奏でる心像であり、それは本来イメージという語が持っていた広範囲の意味を喪失しているのだ。しかし私はそうした意味的差異に留まり続けることなく、これに描写としての性格を与えた上でイマージュへと帰してしまうことにしようと思
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