ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
 
います。しかし、「風景を愛撫する」ということと、「風景をさえぎ」る、という厳しい「批評的精神」がどのように両立するのでしょうか?
荒地派、ひいては戦後詩を代表するスポークスマンであった鮎川信夫ですが、その論の進め方に、ぼくの悪いアタマは混乱を起こすばかりです。

鮎川信夫のこの文章について、寺山修司(1935-1983)は「疑似悲劇的」表現のなかで「自分を愛撫している」のが鮎川を始めとする荒地派や戦後詩の書き手である、と言います。

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「私は長い間、鮎川信夫の『僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する』ということばにこだわっていた。なぜ、愛撫などするのだろう。自分もまた、幻滅の中
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