ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
 
詩とは何か」)と書いて、春山行夫を始めとする戦前のモダニズムをサロン趣味的、末梢感覚的なものにすぎないとして葬り去ってしまいました。

鮎川は、日本のシュルレアリスト(モダニスト)の表現方法について、「『異質のもの、あるいは異質の<観念>の暴力的結合』であり、そこには<秩序>の意識が全く」なく、「異質なもの、あるいは異質の『観念』を同時的平面的に並置しただけの、一種の型(パターン)があるだけなのです」と批判を加えています。

この鮎川の指摘に対して、北川透は著書『詩的レトリック』の中で、遠く隔たったもの同士の偶然の接近が、互いの電位差により火花を散らし、その火花の美しさでそのイメージの価値
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