ディスコミュニケーションに関する考察/はるな
 
人々は相互に関わり合っていることは変わりません。
問題なのは、それらが「断絶」するということです。
インスタレーションにしろ何にしろ、わたしが興味があるのは、「出来上がらなかった部分」です。ここでは話をアートに関することに絞ります(そうしないときりがないので)。いま人々が関わりあって完成させるアートというのがたくさんあります。これは大昔からもちろん行われていることですが、それがより表層化しているのだと思います。多くの手(影響)によって完成された絵がここにあります。これはまた、多くの人々の手(影響)が「くわえられなかった」ことによって完成された絵だということもできます。
だけども、「加えられなかった」手そのものをかたちにすることはできません。それはミロのヴィーナスとは少し違っています。
わたしはこの問題についてもう少しよく考えてみなくてはならないでしょう。わたしは「存在しない」存在について、考えているのです。それを言葉にすることは、たぶんパンドラの箱を開けるようなものか、あるいは悪魔の証明をしようとすることなのでしょう。
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