ディスコミュニケーションに関する考察/はるな
 
それは本人以外の手によって見つけられなければならないだろう。あるいは作り手が人間ではないか、死んでしまっているべきです。たとえば「これがディスコミュニケーションの系譜だ」といってあるひとが自分自身がつくったある画を持ってきたとします。それがディスコミュニケーションのきちんとした魚拓であったとしても、そこに何の手も加えていなければ、それは図鑑(あるいは記録)であってアートではないのです。
とても明快な例としてここにヘンリー・ダーガ―というひとを挙げようと思います。このひとは男性で、本人がそう感じていたかどうかはわからないですが、孤独な人生を送りました。このひとは身寄りがなかったそうで、このひとの住
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