演劇の有用性について/salco
こだましている声だ。
ただ我々が「涼しいアタマ」でこのフラストレーションに拘泥せずに済んでいるのは恐らく、属する小集団で規範に則った最小限の主張と最大限の共感を
やり取りしている満足の他に、理解されるより理解すること、知られるより知ることに比重を置いて生活しているからなのではないか。殊に自他の峻別・
現象の弁別を完了して慣性に生きるオトナとは、そうした動物なのではないか、とそんな風に思われる。
知る、とは人間の宿痾であって、日常生活に於けるその欲求は、しばしば自己保存欲求より強いしまた重要なのだ。チョモランマ北壁でビバークする登山
家を引き合いに出すまでもなく、カレシの携帯電話をチェック
[次のページ]
戻る 編 削 Point(3)