人格的な、入道雲、青い空   mixi日記より/前田ふむふむ
 
として現れてくる。その時、自然と僕との対話がある。それは、自然に包括された僕として、僕の中で、僕にしか認識できない自然があり、常に自然は、僕の経験のあり方と、等しい個性として存在してくるのである。
自然との対話、僕という範疇において行われる、その行為に、僕は、自然に意味を見出し、自然を通して、僕自身に意味を見出すのである。
いわば、大袈裟に言えば、歴史的な存在としての自分をみつけるのである。
そこで、見出すものは、ときに、生身の苦悩である場合もあるだろう。
酒で祝う喜ばしいことであるかもしれない。
あるいは、痛みの伴わない、物語のようなものである場合もあるだろう。

ひとつの
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