夏の亡霊/A道化
ある夜のお仕事帰りに駅から自宅までの道を原付きで走行中、前を走るタクシーの後ろのバンパーに貼られたイエローのステッカーの『夏の交通安全運動実施中』という文字をなんとなく眺めていて、そのステッカーが『夏の』と『交通安全運動実施中』とに分かれているのに気がつく。夏が終わったら左の一部だけを『秋の』に貼り変えるのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていたら、突如、無数の『夏』が捨てられてゆくイメージに胸がザァッと苦しくなる。夏が終わるころ、一体いくつの『夏』という言葉が剥ぎ取られ、洗い流され、消去され、焼き捨てられるのかしら。
…あ。
もしかして私、惜しんでいるのか? 夏を、悼んでいるのか?
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