商業詩誌の潰し方/いとう
 
しそれが、「ネット詩」で
はないと断言しておこう)。何故ならポータルとして機
能する投稿サイトに集う人々は、極端に言えば、詩が読
みたいためではなく、自分の詩を読んでもらいたいため
に集っているからだ。そこでは詩作品がコミュニケーシ
ョンツールとして機能してしまい、作品にとって必要不
可欠な批評性が埋没してしまう。「ネット詩のカラオケ
ボックス化」という批判はまさにこの点を示しているの
だろう(ただし私自身は詩のコミュニケーションツール
としての間口の広さを否定はしない。それは詩にとって
のアドバンテージであると考えている)。そのような場
がどれだけ数多く存在し、どれだけ数多
[次のページ]
戻る   Point(3)