散在しつづけるきざはし/豊島ケイトウ
 
 修辞に位置付けられるきざはしの出現はいみじくも重なり合う因果であるが、
 しかし私たちの生活を根底から揺るがすほどのナルシシズムを包含しているわけではなく、
 ただ、
 夕映えから派生する杞憂に似た泡沫はある一定のきざはしにおいて、
 段落を伴わない餓鬼ともいえる。

 執心の内側で羽ばたく有事に備えひたすら体を鍛えつづけるいわれはない、
 と第一回目の世界は眉間にしわを寄せる。

 一段一段踏みつけるたびごとに放たれる音波を優雅にかわすすべを身につけるには、
 きざはしの球根から汲みとれる単語しか知り得ないので、
 完璧なる終末を迎えるためにミニシアターで丸い裂傷を刻まな
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